京都旅館やちよ

京料理とお庭の宿  旅館 八千代

旅館 八千代は、四季を通じての歴史と趣に包まれた京都市内随一の文化ゾーンにあり、旅館、八千代から祇園や清水寺、平安神宮や南禅寺など京都の名所へも歩いていけます。

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旅館、八千代のホームページにお越し頂き、誠にありがとうございます。4月20日よりホームページをリニューアルいたしました。インターネットだけの特別プランや京都の旬の情報をご覧いただける旅館 八千代のホームページ是非ご覧ください。

旅館 八千代の歴史

京都、旅館 八千代の歴史は、安土桃山時代までさかのぼります。その当時は上の店(かみのたな)市場(現在上京区小川通椹木町)にて魚市場を営んでおり、天正16年(1588年)豊臣秀吉の頃、聚楽第にあって盛宴をはるとき、ご用命受けたと旧記に詳しく残っております。上の店市場とは、御所における日々の供御を欠かさぬようにと、御所の近くにひらかれた京都最大の市場です。また御所の御用達ということで権勢をふるい、お上の店として問屋の格式は高く苗字帯刀を許された名門が多く、当八千代(当時 石橋家として)は上の店市場最大の魚問屋として知られておりました。明治大帝東遷の折り、市場は解散の危機にさらされたのを、先代の石橋久右衛門が資財をなげうって守った。その功績により有栖川宮家より恵比寿木像賜り守り神として敬い、魚問屋・料理屋として御所や大店に出入りして隆盛を極めたが第二次世界大戦の折り物価統制により上の店市場は消滅いたしました。戦後まもなく先祖の家業をこの地でと、料理屋と料理旅館を営むようになり、現在に至っております。

文学者 上田秋成と旅館 八千代

旅館 八千代は、江戸時代の国文学者であり、「雨月物語」の著者でもある上田秋成が晩年隠棲し、自ら「うずら居の庵」と称して余生をたのしんだ旧跡で知られております。

文化四年(1807年)上田秋成七十四歳の秋、無益の草紙、世に残さじと稿本若干を古井戸に投じて「今は心ゆきぬ 長き夢 見果てぬ程に 我が魂の 古井におちて 心さむしも」とよみしを隣人の大澤清規、これを名づけて「夢の井戸」という。

今も旅館、八千代の片隅に名残りをとどめています。上田秋成没 文化六年(1809年)76歳 墓は向かいの西福寺に在ります。

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